私の今までの人生は33年と、まだ短いですが、その中で得た教訓の一つに取り返しのつかない失敗はないというものがあります。
人生の節目のたびにうまく行かないことが多かったです。でもどの失敗も、経験した当時は、「これは取り返しのつかない失敗だわ」とか「もう人生終わったな」というぐらい落ち込みましたが、振り返ってみると、成功してても失敗してても大して変わらなかったなと思うことばかりでした。
それでは、どんな失敗をしてきて、どう自分の中で挽回したのか、みていきたいと思います。
死ぬほど受験勉強したのに灘不合格
私は競争心を煽られて育ったこともあり、物心ついた頃から競争心が高く、特に勉強では負けなしだと思っていました。少なくとも学校の中では。。
中学受験のことなど何も知らない小学校4年生の時に、近所の子供が関西では上位校の六甲中に受かったともてはやされていたことをきっかけに、私は関西で一番難しい灘に行くと言いだし、日能研に通いだしました。
そして確か小6の時に灘特進という日能研で最上位のクラスに入って、多分これ以上勉強できないというぐらいに勉強したけど、灘に落ちました。
不合格の知らせを聞いた時は絶望して、自分には勉強の才能がないのだと思ったし、受かった友達のことを思うと悔しくて悔しくて悔しくて、もう悔しいという言葉では全く足りないほど悔しかったです。
小学4年から受験勉強をしていたのはなぜなんだろう、小6から死ぬほど勉強したのはなぜなんだろう、少なくとも勉強した時間の半分は遊べたなと思う日々が続きました。
ここら辺のことはこちらの記事に詳しく書いています。
しばらくして、しょうがない、終わったことはしょうがないと冷静になり、今度は東大に入って、追いついてやる、いや追い抜いてやるんだと中学時代に勉強にもえるきっかけになりました。文字通り、私が勉強に使った小学生の時間そのものは取り返しはつきません。でも、これをバネに勉強を頑張って東大に入れば、自分の中では挽回したことにできる思いました。
そして勉強の方法も反省して修正しました。塾や学校の言う通りにしていても受からないんだと学び、自分でやるべきこと・スケジュールを決めて、自分で学力をコントロールするんだと強く思いました。
その結果、東大模試では常にA判定の状態になり、実際に東大に受かりました。
受かった後、中学時代に灘に落ちたことを振り返って、「灘には落ちたけど、東大に受かって帳尻合わせられた」と非常にスッキリした感覚になったことを覚えています。
自分を探しすぎて27まで学生(職歴なし)
東大に入ったあとは、理系だったので大学院まで迷わず進みましたが、研究生活をしているうちに、研究者として自分には才能がないと感じていました。
理論を考えるのは好きでしたが、その理論が正しいかどうか実際に実験で証明するとなると、とにかく実験のミスが多かったです。色々な薬品を混ぜたりするのですが、「あれ?今この薬品混ぜたんだっけ?今から混ぜるんだっけ?」とわからなくなることがよくありました。超短期記憶が弱いんだと思います。
何度も実験を失敗する横で、同僚たちは普通に研究を進めているので、あぁ自分には才能はないんだと悟り、別の道を模索しました。
今思えば院の2年ぐらい我慢して研究職以外の職種に就職すればいいだけだったと思います。でもその当時は何をすべきか本当に悩んでいて、文系の院に入学し直したり、休学して海外に行ったりしました。そして就職活動する時にはもう27歳になっていました。普通に学部卒で就職活動している人は21歳の方もいますから、6歳差ですよ。無駄に年食ってしまったなぁと悲しくなりました。これは今でも時々思います・・。
東大生といえど、職歴なし27歳は相当ヤバいんだろうなと感じていました。ちょうどその頃、某掲示板サイトで「27歳職歴なし人生詰んだ」みたいなスレが立っていて、「俺のことやん!」とかなり焦った記憶があります。まじで人生もう取り返しつかないんじゃないかと恐れていました。このままニートになるのか俺・・と。
就職活動を始めて、実際書類選考で落とされたところも結構ありました。年齢で落とされたんだなと思っています。それでも色々な方に話を聞く中で、外資系の経営コンサル会社は年齢を気にしないという話を聞き、また、経営関連の知識は今後起業する時にも役立つだろうということで、経営コンサル会社を中心に就職活動しました。
コンサル会社では書類選考で落とされることはなく、無事コンサル会社に就職できて、めちゃくちゃほっとしたのを覚えています。
経営コンサル会社で上手にステップアップ(昇進・転職)していくと、 普通にストレートで就職した人との差(6年)なんて、すぐ埋めることができると聞いていたので、これで少しは挽回できたかなと思っていました。
就職後、苛烈な上司に遭遇し即休職
よ〜し、失われた6年を挽回するぞと息巻いて仕事をはじめましたが、最初の上司がめちゃくちゃ厳しく詰める人で、私は会うたびに萎縮してしまって、全くパフォーマンスを発揮できなくなりました。ほどなく、会社に行こうにも体が動かない状態になり休職する羽目に・・・。
6年を挽回するはずが、むしろこれでは後退してるではないかと自分に絶望したのを覚えています。コンサル会社はかなり実力主義で、無能と思われた人には仕事が回って来なくなります。ですので、入社後即休職した私は、もうまともな仕事は回ってこない、取り返しつかないんじゃないかと思い込んでいました。
それでも実家でゆっくり休養していると1ヶ月ぐらいで元気が回復し、復職しました。
復職後は誰でもできる書類チェックをやらされましたが、このスーパー簡単な仕事でミスしたらもうあとがないと思って、必死に、ミスがないようにやりました。
すると、段々とデータ集めや、お客さんに提出する書類作成も任されるようになり、同僚たちと同じように力を発揮することができるようになりました。
そのプロジェクトが終わって、次のプロジェクトでは、中心戦力として扱ってもらえ、早期昇進できました。これで1年挽回したなと、非常に嬉しく思いました。
その後も上司の無理難題にひたすら応えて仕事を評価してもらい、再度早期昇進の対象となりました。結局昇進する前に、自分のやりたかった起業をすることにし、会社をやめてしまいましたが、自分の中では2年挽回できたなとは思っています。
起業した今ではもう自分が周りに比べて何年遅れているとか進んでいるとか全く気にならなくなりました。起業の世界では、20代で花開く人もいれば、50代で花開いたマクドナルドの元社長(レイ・クロック)のような人もたくさんいるからです。
以上、私自身が人生の節目で色々失敗してきたけど、その度に挽回してきたことを書きました。失敗した時にはもう終わったと絶望するものですが、ほとんどのことは挽回する道はあるのかなぁと思っています。
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