家庭教師の雑感

家庭教師をしている横井が、受験や勉強に関するお役立ち情報を書きます。

有名人が子供の時に受けた教育まとめ

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世の中にはたくさんの成功者がいますが、彼らがその能力を得た大きな原因の一つに、子供の時の教育というのはあると思います。

この記事では、彼らが子供時代に受けた教育を知って、今子育てしている方や、自分自身の成長の方向性を模索している方の参考になれば良いなと思います。

では早速、、

 

経営者

孫正義:独創性・一人前として扱う・褒めちぎる

孫正義氏はソフトバンクグループを一代で築いた経営者で日本第二位の富豪です。その子供時代の教育は、やはり普通とは少し違っています。

 

まずは独創性。これは常識を鵜呑みにするなということです。

常識を疑え、先生も疑え、そういうことが孫家ではよく言われていました。定石と言われていることを真似るだけでは絶対にその定石のもととなっているお手本を超えることはできないという考え方です。

実際、孫正義氏の父親が焼肉店を開くときも誰かに教わりはしませんでした。いきなり卸問屋に肉を買いに行って、問屋に断られて喧嘩していたそうです。

孫正義氏も専門家から提案やアドバイスは受けるが、「いまいちだな」と平気で言う。専門家の意見を鵜呑みにせず、ああでもない、こうでもないとずっと自分の頭で考えます。

それで専門家も考えつかない独創的なアイデアが出ればよし。逆に、たどり着いた結論が結局定石と呼ばれているものだったとしても、自分で考えたものだから理解度が格段に違うというわけです。

 

次に孫家では子供であっても一人前として扱っていました。男子は12、13になったら立派な大人扱いをするという考えがありました。たとえば、小学校の時から食事の時は上座に座らされていました。

また、孫正義氏の父親は事業家で様々な商売をしていたので、中学生の孫正義氏を相手に商売の話を真剣にしたり、新商品についての意見を聞いたりしていました。

 

そして最後は褒めちぎるという話です。

日常の中で、決まった答えがない問題を出します。たとえばこんな問題です。

「踏切が青なので踏切を渡ろうとすると事故に遭ってしまった。なぜだと思う?」

孫正義氏は自分で考えて、「信号が赤で事故に遭うのなら当前だが、青で事故に遭うなら、信号機が壊れている証拠だ。だから事故に遭ったんだ」と答えます。

すると父親は「ほう、そうか、信号機の故障か。おおっ、やっぱりお前は天才やな。俺にはわからんかった」と大げさに驚いて見せます。

この決まった答えのない問題というのが良いと思います。筋の通った主張ならなんでも答えになって褒めることができるからです。

 

孫正義氏は父親に怒られたことが一度もないと言います。そのおかげか、自分が一生かけて本当に一生懸命やれば、相手がトヨタのようなどんな大企業であっても必ず抜ける、という自信が芽生えたと語っています。(「あんぽん 孫正義伝」にて) 

あんぽん   孫正義伝 (小学館文庫)

あんぽん 孫正義伝 (小学館文庫)

 

 

村上世彰(村上ファンド代表):小学生の時に100万円を渡され株購入

村上世彰氏の100万円エピソードは有名ですね。小学3年生の頃、お小遣いを何度もねだっていたら大学入学までのお小遣いとして一括で100万円渡されたという話です。

 

ここではもう少し詳しく掘り下げたいと思います。

小学3年生の時に100万円をもらった村上世彰氏は自分から株式投資を始めます。食卓にいつもあるし、大人が大好きだから業績が伸びるだろうということで、サッポロビール株を2,000株購入しました。

 

父親からこの100万円で株式投資をしろ、と言われたわけではないようです。ここがうまいなぁと思います。

父親は投資をしていたし、貿易を営んでいました。父親の狙いとして、まとまったお金をあげれば投資や商売をやると見抜いていたんじゃないかと推察します。

狙って子供の自主性を伸ばしたのだとしたら、この父親、策士ですね。

 

村上世彰氏は小学3年で株式投資をはじめ、どんどん面白くなり、中学生では会社四季報を読むようになっていました。高校生の時、株の売り時を逃して利益を大幅に減らした時に父親から受けたアドバイス、「上がり始めたら買え。下がり始めたら売れ。一番安い値段で買えると思うな。一番高い値段で売れると思うな」は今でも投資哲学として記憶に残っているそうです。

 

「生涯投資家」という村上世彰氏の自著を参考にしました。

生涯投資家

生涯投資家

 

 

三木谷浩史(楽天社長):そもそも論を考え抜く

一橋大学を卒業後、日本興業銀行に就職し、社費でハーバード大学に留学・卒業後、楽天を起業するというザ・エリートの三木谷浩史氏ですが、幼少期の成績ははっきりと悪い部類でした。小学校の通信簿はほとんどが2か3で、中学の成績はビリから2番目。

それでも両親からは一度も「勉強しろ」と言われたことがありませんでした

 

そんな両親が重視していたのは、学校の形式ばった勉強ではなく、そもそも論で考え抜く力でした。

家庭内では「空はなぜ青いか」「人生とは何だ」「ゼロとは何だ」「宮本武蔵はなぜ負けなかったのか」といったディスカッションをよく行っていました。

このそもそも論で考え抜く力が、創業当時、大企業が参入しては失敗していたインターネットショッピングサイトに取り組むという決断に繋がったそうです。

 

三木谷氏についてはこちらの本を参考にしました。

問題児 三木谷浩史の育ち方

問題児 三木谷浩史の育ち方

 

 

スポーツ選手

本田圭佑:なんかするなら絶対1番になれ!根性を叩き込む

本田圭佑選手の幼少期の教育は、今まで紹介してきたような、子供を怒らない教育とは全然違います。

まず、父親にとにかく言われたことが「1番になれ!」ということでした。サッカーだけではなく、バスケやバレー、野球でも、とにかくやるんやったら1番になれということで、少年時代はなんでも1番だったそうです。

 

サッカーを極めると決めてからも、もちろんそれは続き、

「お前が休んでいる間にブラジルでは練習しているぞ」

「お前らみたいな休んでいる奴がなんで一流になれるんや」

と、とにかく発破をかけられていました。

父親が、本田選手のサッカーの試合を見にきた後でも「お前の試合は全く見れへん」と容赦無くダメ出しされていました。

 

でもそんな厳しい父親の言葉にも本田選手は負けることなく、むしろ「見返してやる!」と強く思ったそうです。

気の強い子供には良さそうな教育ですが、潰れてしまう子供もいそうですね・・笑

 

こちらの記事に詳しく書いています。 

「夢に向かうシンプルな生き方」を追求し続ける本田圭佑選手が歩んできた半生とは? | ジュニアサッカーを応援しよう!

 

本田選手の考え方がわかる動画

 

イチロー:好きなものを見つけたら子供をとことん信じる

イチローが3歳の時に、父親がはじめておもちゃのバットとボールを持たせたら、その日から寝る時も離さなくなりました。
小学3年生になるとイチローが、「平日はお父さんと野球する」と言い出して、毎日、学校から帰って来てから暗くなるまで父親とキャッチボールをしました。

 

父親には「子供が夢を見つけるきっかけは親が与えるもの」という考えがあって、意識してイチローに色々やらせていたようです。もしサッカーが良いと言っていたらサッカーに付き合っていただろうと言っています。

プロ野球選手になりたいというイチローの発言をそのまま真剣に受け止め、中学生になっても毎日毎日イチローの練習に付き合い、家に帰ってからはイチローの体をマッサージしていました。

 

プロ野球選手という夢と真剣に向き合ったのもすごいですし、子供へのサポートの徹底ぶりもすごいです。結構時間に余裕のある方しかできないかもしれません。。 

 

イチローの父親が教育について語っている記事です。

鈴木宣之さん (イチローの父) : 教育を語る : 子ども応援便り

 

文化人

手塚治虫:学校で怒られても好きなことをやらせる

手塚治虫は言わずとしれた日本漫画の基礎を築いた人物ですね。

そんな手塚治虫は小さい頃はいじめられっ子で、よく泣いて家に帰ってきていました。そんな時に母親はマンガを読み聞かせてくれました。

当時は漫画という文化はほとんどなかったけれど、手塚治虫の母親は変わり者で漫画好きでした。そして手塚治虫の独創性が豊かであることを母親が見抜いていたため、字の本より漫画を読み聞かせることが多かったそうです。

 

こうして漫画が大好きになった手塚治虫は小学校でも漫画を書いていました。しかしある日、漫画を書いたノートが先生に見つかって大変怒られ、母親が呼び出される事態になりました。当時漫画に市民権はなく、学校にきて遊んでいるとはどういうことか、ということだと思います。

 

呼び出された後、家に帰ってきた母親は手塚治虫に、漫画を書いたノートを出させました。そこで母親はこんなことを言いました。

「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください。

ちょっと普通じゃないですよね笑。世間には認められないことで、しかも先生に怒られたことであったとしても、子供の才能を褒めてあげるということは、なかなかできないことではないでしょうか。

 

でもこうして好きなことを認めてくれた母親のおかげもあって、手塚治虫は漫画を日本一というレベルまで極めることができました。

24 手塚治虫の天才を育てた母の愛 | 幼児教室コペル

 

黒澤明:個性的であることを褒める

黒澤明は日本を代表する映画監督です。ミーハーな私は七人の侍しか見たことがありませんが・・笑

ある日小学校の図画の時間に黒澤明が絵を描いていると、個性的な絵であったため、同級生から馬鹿にされて笑われました。でも担任の先生だけはそれを褒めてくれた。するとすっかり絵が好きになり、有名な美術展である二科展に入選するほどになります。

 

その後画家を志すも、自分の絵の才能に見切りをつけ、映画界に飛び込みます。ですが、絵の練習をしたことは映画を作る上で大いに役立ったことでしょう。

みんなと違うことは実は隠れた才能なのかもしれません。褒めて伸ばせば大きく花ひらくこともあるんですね。 

 

歴史的偉人

エジソン:子供の能力を信じて大人向けの本を読み聞かせ

エジソンの母親の子育てエピソードは有名だと思います。エジソンが小学生の時、学校で問題行動ばかり起こすエジソンに手を焼いた教師が母親に文句をいうと、母親はエジソンを退学させ、自分で教育することを選択。

エジソンが抱く細かな疑問に丁寧に答えていき、ついには自由に研究できるように、家の地下室をエジソン専用の実験室に作り変えてしまうというもの。

 

ここでは、なぜエジソンが発明に心血を注ぐようになったのかを見ていきます。それはやはり母親のおかげでした。

退学したエジソンを教育する際、母親はエジソンの興味を引き出すことに努め、本を読み聞かせました。それは「ローマ帝国衰亡史」などの大人向けの歴史書でした。そうこうしているうちに9歳になったエジソンはシェークスピアの古典文学まで読みこなすようになりました。

 

読解力がついたので、母親は実験好きのエジソンが気にいるであろう『自然・実験哲学概論』を買い与えました。これは家庭でできる科学実験を説明した本で、エジソンの発明好きに火をつけたといいます。 

子供の能力を見極めて、伸ばしてあげた好例だと思います。

歴史上の偉人は、こんな親に育てられた【1】 (3/5) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 

以上、色々な分野の有名人について、子供の時に受けた教育を見てきました。子育て中の方が真似できることはたくさんあると思いますし、成長を志す人にとってもヒントになれば良いなと思います。

ざっくりまとめると「好きなものを見つけてとことん伸ばせ」でしょうか。まとめると普通のことですね笑。そういう普通のことをしっかりやるというのが難しいのかもしれません。

 

 

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