家庭教師の雑感

家庭教師をしている横井が、受験や勉強に関するお役立ち情報を書きます。

どうやって努力を続ける力をつけたか

家庭教師をしていると、どうやって努力を続けられるようになったのかよく聞かれます。

 

自分としても、人よりも努力を続けられる自信はあって、何か目標を設定して、それに向かって継続的に努力することは、全然苦痛じゃないです。

 

今思えば、幼少期から幸運にも、努力して成果を得られた経験と、努力せずに失敗した経験の両方を得たのがよかったと思います。

以下、時系列順に説明していきます。

 

幼稚園年長までスーパー泣き虫で何もできなかった

甘えん坊で泣き虫

幼稚園年長まではとても甘えん坊で寂しがり屋でした。母と兄が大好きで、どちらかがそばにいてくれば落ち着いて物事に取り組めたのですが、どちらもいない状況になると、すごく不安になりました。

全く自信のない状態になり、何をすれば良いのかわからなくてすぐに泣き出してしまう、そんな弱い子でした。

だから、幼稚園に行く時は登園の道ですでに泣いていたし、幼稚園の先生にかついで幼稚園に連れて行かれたこともあります。また、泣きわめいて幼稚園から逃げ帰ったこともあります。

 

歌を歌ったり、工作をしたり、何をする時間でも、僕は何もぜずとにかく泣いていた記憶があります。

 

小学校低学年までで、やれば勝てそうだという経験を数多くした

バスケットボールで始めての成功体験

そんなスーパー泣き虫だった僕を見かねた幼稚園の先生が、バスケットボールの時間に僕にボールを持たせて「ゴール目掛けて投げろ」と言ったことがあります。

すると運よく入りました。

先生は盛大に拍手し、もう一回やれと言ってきます。もう一回やるとまた入り、盛大な拍手。

その出来事は今でもはっきり覚えていて、その時のバスケットボールのゴールの模様を鮮明に思い出せます。

 

この出来事から、自分にもちゃんと出来ることがあるのだと知り、他のことも自信を持って取り組んでみようという気持ちが芽生えました

 

その時以降、泣くことが減り、工作もかけっこも歌も、みんなと同じように泣かずに取り組めるようになりました。

 

朝勉と成績

幼稚園のいつ頃からか、母親と毎朝1時間勉強するということをやっていました。市販の算数の問題集と国語の読解の問題集をやっていました。

だから小学校に上がったときに、テストで100点を取れました。小1になって何回か続けて100点を取ったことで、これは間違いなく朝勉の効果だなと気付きました。

それが人生初めての「努力を続ければ成果になる」という体験でした。

クラスの皆はお前頭良いなぁと言ってくれましたが、僕は内心「朝勉強してるからなんだよ」と思っていました。

 

二重跳び

小学校3年生のときに、二重跳び大会というものが学校で催されることになりました。僕は目立ちたがり屋だったので上位に食い込みたいと思い、友人と毎日練習することにしました。大会までの2週間、学校終わってから公園に集まって、2人で夕暮れまで二重跳びをやり続けます。

1日目になんとか1回飛ぶことができ、2日目には数回、そして何日目かにコツを掴んでからはグンと伸びて何十回と飛べるようになりました。

 

そしてむかえた大会当日、僕は160回跳んで優勝し、とびきり目立つことができました。

この経験で、勉強でも運動でも、他人より頑張れば、他人より良い結果を得ることができるということを、身をもって知ることができました

 

根性の大切さを繰り返し説かれた

アニメによる根性教育

幼稚園年長〜小学校低学年ぐらいのころ、よく根性系のアニメを見ていました。

具体的には、「ど根性ガエル」と「F(エフ)」というアニメです。

ど根性ガエルは、カエルのピョン吉が原っぱにいたところに、地元の中学生・ひろしが小石につまずき倒れ込んで来て潰されてしまうが、なぜかピョン吉はひろしのシャツに張り付き、「平面ガエル」として生きていくことになる、というお話で、ひろしが弱気になったときに何かと「ど根性!」と言って、根性でなんとか解決する場面がよくあります。

 

また、F(エフ)はF1ドライバーを目指す青年の話です。特徴的なのは、レースで自分より前を走っている車があると、主人公が「何人たりとも俺の前は走らせねぇ!」と言って、前の車を抜かしていくという場面です。

母はこの「何人たりとも俺の前は走らせねぇ!」というセリフが好きで、僕が何か競争事で弱気になったりするとこのセリフを言って、発破をかけてきました。

 

他にも、僕が自分より順位の下の人がたくさんいる、というような話をすると、「違うでしょ。下見て暮らすな、上見て暮らせ。」と、常に上昇思考を持つように教育していました。

 

なので、幼少期から何でも一生懸命、根性でやり通すということが美徳なんだなという意識が芽生えていました。

 

母の境遇

実際に母親が忍耐を強いられる境遇にいて、それを知っていたことも大きな影響を与えました。

僕の父方の家は代々銭湯屋を営んでいて、僕の母は、結婚してから僕の父の家業を手伝うことになりました。父の銭湯は、1階が銭湯で、2階が居住用の空間になっていました。そこに僕ら家族と、祖母、そして一時期は父方の親戚も住んでいました。

僕の母にとっては姑と同居していたことになります。

世の中によくあることですが、姑から母への嫌がらせが多発していたようです。母は、銭湯の仕事を手伝いながら、姑から嫌がらせを受けつつも、僕と兄の育児をしていて、精神的にも体力的にも相当しんどかったらしいです。

 

その苦しい生活は、僕が小学校に上がるときに、家を引っ越すことで解消されたのですが、「お母さんも苦しい時があったんだけど、負けちゃいけない、負けるもんかと思いながら必死にあんたたちを育てたんだよ」という話をよく聞きました。

そういう話を小学校の頃に聞いていたので、僕も苦しいことがあっても負けずに頑張って生きていこうと思えました。

 

小6で自分はスーパーマンではないと知った

徒競走で友達に破れる

小学校時代は終盤までとても楽しかったです。勉強でも運動でも目立っていて、自信に満ち溢れていました。

しかし、塾に行きだして、自分よりも賢い人はたくさんいるということを知りました。でも彼らは才気あふれる子供たちで、普通ではありませんでした。だからどこか、負けてもあいつらはちょっと違うから仕方ない、という思いも少しはありました。

 

僕がもっと衝撃を受けたのは、今まで徒競走で負けたことのない友達に負けたことです。今でもはっきりと覚えています。僕は小5まではリレーの選手だったので、その流れで小6もリレーの選手に選ばれました。

でも少し不安はありました。受験勉強で全然運動しなくなっていたので、走るのが遅くなっているかも・・・と。

大会当日、不安は的中しました。僕は後ろから走ってきた友達に抜かされたのです。その友達には今まで一度も負けたことはなく、ましてや抜かされる程スピードに差があるなんて考えもしませんでした。

その時、自分の足が非常に遅くなっていることに気づいたのです。

とてもとてもショックでした。

「あいつに、俺が負けるのか・・・そんなことありえるのか、いやありえないだろ・・・」

しかし実際に負けている。大差で。その時僕は「努力しなければ自分は凡人だ」という当たり前のことを、身にしみて覚えました

でも今思えばこの経験を幼少期にできて良かったと思います。あの経験があったから、努力をやめることに恐怖心が芽生えました。

 

第一志望に落ちた悔しさで中学以降も勉強を続けて東大合格

中学受験で、第一志望の灘に落ちて、京都の洛南高等学校附属中学にいくことになったのですが、それはもう悔しくて悔しくて、絶対東大に入って帳尻を合わせてやるという思いで6年間勉強しました。

その結果、東大に合格し、やっぱり努力は自分を裏切らないということを確認し、大人になってからも、努力を続けられるようになったと思います。

 

最後に

自分が努力できるようになったのは、運の要素も多いと思います。

幼少期にいいタイミングで、努力が報われる経験と努力をせずに負ける経験をしたのが大きいです。でも教育も一定の役割を果たしたと思います。そういう努力が報われる経験をしたときに、「ああ、あの時母が言っていたのはこういうことだったんだな」と、再認識していました。

貴重な経験に出会ったときに、その経験が貴重なものだと認識する、そのために母の言葉が役立ったような気がしています。

 

 

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