どうして人は競争するんでしょう。
熾烈な受験競争を勝ち抜いてきた私からしても、競争とは辛いものです。負けず嫌いで、競争に勝つのが好きだとしても、競争自体を長期間楽しめる人はそうはいないと思います。
にも関わらず私たちは競争せずにはいられません。生物は種の保存のため、約40億年もの間競争を繰り返してきたので、競争することは本能なのかもしれません。
加えて、人間社会の競争の特徴は終わりがないということです。おそらく終わりはあるのですが、その終着点までたどり着ける人間はほんのごく一部の人間だけです。
であるならば、人生のどこかの時点で、意識的に競争から降りるようにした方が幸せになれるのではないか、という考え方がでてきます。
この記事では、私が経験した競争を振り返って、競争の不毛さと必要性、そしていつ降りるべきか、その後どうやって生きていくべきかという話をしていきます。
私が見てきた競争社会
学生時代
小学校低学年の頃から競争はありました。例えば学校のテストで何点取るかを競い合う。小学校のテストはそんなに難しくないから、真面目に勉強すれば誰でも高得点が取れます。しかし確かに競争はあって、100点を取って他人に勝つと嬉しくなります。
これが、小学校高学年になり、中学受験に参戦すると競争が激化します。
クラス分けで自尊心をくすぐられたり、傷つけられたりして、上を目指すようになっていきます。
運よく一番上のクラスまで行けたとしてもそのクラス内で競争が起きます。
中学受験を勝ち抜くと、今度は入学した中学で競争です。選ばれた優秀な人たちとの競争なので、勝ち抜くことは今まで以上に難しくなります。
学生時代にあまり勉強をしなかった父親に、こんなことを言われたことがあります。
「社会人になったらもっと大変なんだから。勉強ぐらいで騒ぐんじゃない」と。
私は不思議でした。なぜなら、
- 大人が働いている間、俺は勉強している。
- 大人がビールを飲んでいる間、俺は勉強している。
- 大人が寝ている間、俺はもちろん勉強している。
という事実があったからです。
どう考えても学生の自分の方が凡百の大人よりも遥かに修練していました。社会人の方が大変だとは思えませんでした。
そして社会人になった今はっきり言えることは、トップ層の学生は間違いなく、大人に負けず劣らず熾烈な環境で生きているということです。
そんな競争の中でも心が折れなかった者が、大学受験を勝ち抜くことになります。
これはトーナメントのようなものです。勝ち上がれば勝ち上がるほど、ライバルも強力になり、勝つためにはさらなる多大な努力を要求されます。
そして最悪なことに、このトーナメントには終わりがありません。
就活時代
最難関の東京大学に入学後も競争はあります。しかし、勉強の競争は一旦終わります。大学内で成績が良いことはそれほど重要視されないからです。じゃあどういう競争があるのかというと、就活です。勉強偏差値で競い終わった後は、企業偏差値で競うことになります。
文系就職なら、戦略コンサルティングファームや外資系投資銀行に就職するのが最難関、次点で商社や大手証券会社など、という、はっきりとはしていないですが、暗黙の序列があります。もちろん他にも、弁護士・公認会計士・国家公務員1種などの最難関文系資格もトップランクとして入ってきます。
理系就職は、業界によって序列は様々ですが、私は一時期製薬系の学科に所属していたので製薬業界のことを言えば、新薬開発をしている日系製薬企業大手が最難関、次に外資製薬企業大手、そして製薬以外の本業がある大手日系企業のような序列がありました。
ここでも競争に勝ちたい人は少しでも上の企業を狙います。そして勝者は意気揚々と内定先を口にだし、敗者は数年後に転職するんだと悔しがります。
社会人時代
私は大手外資系コンサルティングファームに入社しました。
入社後も出世競争が待っています。外資系コンサルティングファームは上司から評価されればどんどん職位が上がっていきます。マネージャーになれば年収は余裕で1,000万円を超えます。皆目先の利益と名声に目をくらませ、いち早くマネージャーになろうと競争します。20代マネージャーもざらにいます。
このように、職位を早くあげることが人生の大きな目的になって、早く昇進した同期を妬み、昇進の遅れた同期を蔑む人が出てきます。そんなドロドロの競争を勝ち抜いてマネージャーになっても、それがゴールではありません。その後は最上職位であるパートナーを目指します。
パートナーになれば年収は数千万円、人によっては億を超えるので、皆さらに必死になります。
仲の良かった元上司が先日パートナーになりました。しかし実はパートナーの中でも序列があるのです。
最低ランクのパートナーの年収は5千万円以下です。ここから這い上がって行かねばなりません。新規顧客を獲得し、既存顧客からは大型案件を掘り当てて売上をあげる作業をします。太客を見つけることが大事です。
そうして売上をあげていくと、パートナーを統括するパートナーになります。このあたりからは政治力も非常に大事になってきます。うまくやると社長が見えてきます。社長になれば年収は10億を超えてきます。この地位を巡ってパートナー同士の生臭い政治争いが繰り広げられます。
しかし社長になってもまだ競争は終わりません。競合他社に打ち勝つ方法を考え抜き、アメリカ本社からの目標を達成せねばなりません。私が入社した時に社長だった方は数年の在職期間ののちすっかり老け込んでしまいました。相当しんどい思いをしたのでしょう。
目標を達成したら次の目標が課され、結局いつまでも終わらない競争を続けることになります。
競争は是か非か
聞いているだけでしんどくならないでしょうか。実際私もしんどいときは多々ありました。それにも関わらず、私はある程度まで競争は必要だと考えています。スキルを身につけ名声を勝ち取るためには、競争に勝つことが手取り早いからです。
私が東大に入らなければ家庭教師としての信用は得られていないでしょうし、そういう信用だけではなく、少年時代に頭を酷使したことで思考力が鍛えられ、新しいことでもすぐに理解できるし、少しうまく行かなくても我慢する忍耐力も得られました。思考力と忍耐力は死ぬまで活かせる万能スキルです。これをかなり高度なレベルまで鍛え上げることができたのは競争のおかげでもあります。
一方で競争には大きなデメリットもあります。心が疲弊してしまうということです。それによって心が歪んでしまう人も出てきます。必死に努力しているのにうまく競争に勝てないと、自信を喪失し、投げやりになり、鬱になる人も出てきます。また、自分より下のものを蔑み、上のものに嫉妬する人もよく見かけました。そんな心の状態で幸せになれる訳がありません。
私たちの人生の目的は競争に勝つことではありません。幸せになることです。だから心を壊してまで競争することは愚かでしかなく、自分の心が元気でいられる範囲で競争するということが大事なのだと思います。
どこで競争を降りるべきか
しかし、競争は放っておくといつまでも続くことになります。永遠に続く競争の中で、心を保っていられる人はごく少数です。普通の人だと、どこかで限界が来て人生を足踏みしてしまいます。最悪の場合は、そこで人生が終わる人もでてきます。そうなる前にどこかで競争から降りるべきだと思っています。
ここで「競争を降りること」の意味を定義しておきます。ここでは、「世間からの評価を気にせず、自分の好きなことを追求する」という意味だとします。
それでは、いつ競争を降りるべきなのでしょうか。
私は「誰にも頼ることなく生きていける能力を身につけた時」だと考えています。
この基準は人によって様々でしょう。わかりやすい例で言えば、会社で何らかのスキルを身につけ、フリーの身になっても多くの人から仕事を貰える状態になった時です。
そうなればつまらない社内競争をする必要はありません。「世の中」という大海原に出て、好きな時に稼ぎ、好きな時に遊ぶ人生を謳歌すれば良いのです。実際に私の友人にはそういう人が何人もいます。
他にも、会社で働いている間に、会社ではなく自分を信用して発注してくれる顧客を何人か確保した時でも良いでしょう。
極端に言えば、高校卒業後はアルバイトで生計を立てることができるので、貧乏でもよければ高校卒業時でも良いでしょう。オススメはしませんが。
自分との競争にシフトする
競争から降りて好きなことを続けていても、それで食えるようにならなければまた競争に逆戻りすることになります。
好きなことを続けていくためには努力が必要です。しかしその努力とは他人に勝つための努力ではなく、昨日の自分を越えるための努力です。
競争を降りるということは、「他人との」競争を降りることであり、それは「自分との」競争の始まりを意味します。
自分で自分を評価するための基準を決め、日々昨日の自分よりも勝っているかをチェックする。そんな努力を地道に続けることで、充実感が得られるし、花ひらく日が来るのだと思います。
他人との競争ではどうしても勝者の真似、勝者の一歩先の改善を追い求めてしまいがちになりますが、自分との競争では、誰も考えつかなかった独創性に溢れた境地にたどり着けることがあります。そこにたどり着くことを目標にすれば良いのではないでしょうか。
以上、競争の不毛さと必要性、そしてどうやって競争を抜け出し、幸せになるかについて考察しました。
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